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ずっと憧れていた独り暮らし。しかし現実は厳しく生活は苦しくなる一方・・・
挙げ句の果ては借金をしなければいけなくなる羽目に・・・

(債務者:本人 45才 女性 会社員)

【まだ20代だった私が何故、借金をするようになったのか】

私が25才になった頃でした。
当時、働いていた会社が実家からだとあまりに遠いことから、ずっと念願だった独り暮らしをすることになりました。しかしお給料は手取りで12~13万ちょっと・・・残業代はしてもしなくても一律8千円。その上、家賃は6万6千円と今考えると『よくこれで生活出来ると思ったなぁ』なんて思います。もちろん、両親は反対していましたからね。

それでも『微々たる賞与もある、それでも苦しくなったらバイトでもすればいい。』
少し楽観的に考えていたのかもしれません。現に3ヶ月後には本当に終業後バイトを始めていたのですから・・・(苦笑)
バイトを始めた頃は僅かな賞与もあり何とかまだ生活に余裕がありましが、半年ほど経った頃でしょうか。
仕事が忙しくなり、毎日残業、そして休日でさえ出勤するようにもなりバイトすら出来なくなってしまったのです。
なのにお給料が上がる訳でもない。
家賃、光熱費を支払っただけで残りはほとんどなし。
どんどん生活が苦しくなり日曜日が休める時はイベントの接客バイトを始める事に。
そしてそれが私の借金生活への入口だったのです。



【ローン返済から消費者金融へ】

イベント接客のバイト初日。それは毛皮の販売イベントでした。
もうお気づきだと思います。バイト終了後、責任者や毛皮販売会社社員に日給を手渡された後、毛皮の購入を勧められ何度も断るも聞き入られず109万のローンを組まされてしまったのです。月々2万1千円、ボーナス月4万1千円・・・

『何のためのバイトだったんだ・・・』

消費者相談センターで相談するも当時はまだクーリングオフは訪問販売しか適用しておらずやはり支払っていくしかないという回答でした。
イベント接客も、このような事があり、不信感から行けなくなってしまい・・・
両親に相談する事も出来ず毎日、毎日不安と憂鬱感の中で過ごしていました。

最初の4ヶ月ぐらいは何とか今までのバイトで少し貯めたお金や賞与等から支払っていましたが、5ヶ月目には底をつき・・・とうとう消費者金融という扉を開けてしまったのでした。



【自転車操業の始まり】

1997年10月だったでしょうか・・・
お給料日前日でした。その月も相変わらず苦しい月でした。
『今日1日・・・何とか・・』
財布には小銭が数十円。
明日はお給料日。でもまた支払いをしたら・・・
そう考えると、バイトも出来ない今、もうどうする事も出来ない。

そして、休憩時間に消費者金融アコムの入口をくぐったのです。

融資額は50万。もちろんその時はいきなり全額を借り入れた訳ではありません。その日1日をしのげれば・・・
1万円でした。(1万円からしか借入が不可能だった)
しかし、人間は・・・いや、私は・・・甘かったんでしょうね。次の日には返済したこともあり、ちょっと苦しいかも・・・となるとあの毛皮のローンの支払いや、生活費を徐々に借入るようになり5年後の2001年には50万の限度額いっぱいになってしまったのです。
そうなると月々の返済額は毛皮のローンと消費者金融を合わせて3万6千円になり、ますます生活は苦しくなりました。
『これからどうしよう・・・』
バイトはするものの返済額が増えたことにより以前より生活は苦しくなる一方。
またも不安感がよぎり1日中、お金のことばかり考え・・
そんな中、部屋に置いてあったマンガ雑誌の裏表紙が目に入ったのです。

『複数の借金を1つにまとめたら支払い額はダウン。100万まで融資』
1つにまとめたら、支払い額も少なくなる。

本当に無知な私でした。
でもあの頃の私は藁にもすがる思いだったのです。

勇気は入りましたが恐る恐る電話すると
『明日の10時に武富士○○支店へ行ってください。』
『次はアイク○○支店へ』

言われるまま、指示されるまま無人ATMで契約させられ(現状では融資不可のはず)おまとめ融資どころか

武富士で50万
アイクで10万

月々の返済額は3社合わせて44000円+毛皮のローンになったのです。
未だにあのおまとめローンは何だったのかわかりません。
それからは60万の借入はまたも毛皮のローン返済や生活費、また3社の返済を互いに借りてするといういわゆる『自転車操業』を繰り返しました。


【返済時の恥ずかしさ、情けない気持ちがが過払い金請求へと】

2002年2月より3社に増えてしまった借金。
まだ当時は各店頭ATMからでしか返済出来なかったと思います。
毎月3回、アコム、武富士、アイクへ行く事が、とても恥ずかしく情けない気持ちでした。
誰かがいるとその人がいなくなるのを待ち、返済中、誰かが入ってくると顔を見られないよう下を向き、店を出る時も周りを気にしていました。
また明細書を見る度にほとんど、いえ、全くといっていいほど元金が減っていないことに絶望するのです。(自転車操業ですから当たり前なんですが)

そして2007年、実家に戻ることを決意。
最後まで、両親にはこの借金のことは知られたくありませんでした。
無知な私の責任だ。最後まで自分で何とかしなければ・・・毛皮のローンは完済しましたが実家に戻ってもやはり毎月の返済は苦しくもう限界・・・

そんな時、通勤電車の広告で、『過払い金請求』を知ったのです。
最初はやはり不安でした。『また騙されるんじゃないか・・・』
弁護士さんから『過払いはない。』や『何故そんな借金をしたのか』
そんな風に言われてしまうのではないか。
電話をするまで2週間ぐらい悩みました。
しかし、もう限界だったのです。
勇気を出し、無料相談のフリーダイヤルにかけると感じのよい男性が出てこられました。
今までの経緯を話すと親身になって聞いてくれ『過払いされてますよ。書類を送らせていただきますのでカード番号と借入額、大体でいいので借入れた時期を記入してもらえますか?絶対取り返せますから大丈夫ですよ。』
その瞬間、
あぁ・・・やっと解放される。やっとこの借金生活から抜け出せる・・・と涙が溢れ、
『ありがとうございます!ありがとうございます!』と泣いてしまいました。
それからは家族にわからないような封書で書類を送っていただき、女性の弁護士さんから連絡が来ました。
『武富士、アイクは2ヶ月程で過払い金が支払われると思いますがアコムだけは少し時間がかかるかもしれません。でももう支払いはしなくていいので少し時間をくださいね。』
それからは、弁護士さんが過払い金の交渉をしてくれていたので私は連絡を待つだけでした。
少し時間がかかると言われたアコムへの交渉も2ヶ月程で終了し

アコムから44万
武富士25万ぐらい
アイク4万の過払い金が戻ってきました。

弁護士さんへの報酬が各過払い金より5~40%ぐらい差し引かれて銀行へ振り込まれ、後日、各金融会社の契約書原本等送られてきました。そして『カードは切って破棄してください』と書かれていました。
1度も弁護士事務所に行く事もなく、弁護士さんと直接会うこともなく、電話と書類だけのやり取りでしたが今でも本当に感謝しています。戻ってきた過払い金は独り暮らしをしていた頃に生活が苦しくて両親に助けてもらったこともあるので両親へ渡し、残りは貯金しました。
今まで払っていた返済金も貯金をしたりたまに旅行へ行ったりしています。
今でも消費者金融の前を通るとあの頃の情けなさ、恥ずかしさ、絶望感を思い出します。そしてその度に2度とあの時ようにはなりたくない。と強く思います。
10年以上続いた借金生活から解放され、今も本当にあの時、勇気をだして弁護士さんに相談して良かったと心から思います。

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